バルト三国 3日目 シャウレイ~カウナス

朝のホテルと朝食









シャウレイ(リトアニア)

十字架の丘
入口の売店

















何千、何万という十字架の数。キリスト教徒でもない、宗教も信じない私としては「荘厳」というより「不気味」という感じがした。少なくとも夜には訪れたくない。


カウナス
リトアニア第二の都市。人口約36万人。リトアニアの首都だった時代もある。

カウナスのレストランで昼食






カウナス旧市庁舎

ペルクーナスの家
15世紀にハンザ同盟の商人が建設、現在は図書館。


カウナス大聖堂



カウナス城

城の近くの公園








杉原千畝記念館
杉原千畝さんは、1940年領事代理としてリトアニア領事館勤務時代、この旧領事館で日本外務省の訓令に反し、亡命を求めるユダヤ人難民に寝る間も惜しんで、ほとんど手書きの2000枚以上の大量の査証(ビザ)を発給した(1枚で一家族全員が使用できる)。
それにより助けられたユダヤ人は約6000人、その子孫は4万人以上になるという。
しかし、外務省の訓令に反したことで、戦後杉原さんは47歳で外務省を事実上追われることになる(形式上は依願退職だが実質的に罷免)。
日本政府が杉原さんの遺族に謝罪し、公式に名誉回復を行ったのはようやく2000年になってから。
「私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です」(当時の外務大臣河野洋平氏の演説、河野氏にとっては早稲田大学の先輩でもある)。

亡くなる1年前の1985年、イスラエル政府から「諸国民の中の正義の人」として認定される。日本人ではただ一人。





執務室



このノートにサインをしてきた。





後年、杉原さんは「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」と述べたが、軍部が権勢をふるい、当然のことが当たり前にできない時代に、外務省の訓令に反して勇気をもって行動したことには心を揺さぶられる。自分が杉原さんと同じ立場だったら、同じ行動を取れるかといったら自信はない。やはり、杉原さんだからこそできた勇気のいる行動だったと思う。まさに「正義の人」だった。

それにしても、杉原さん称賛するどころか追い出し、2000年まで公式謝罪をしなかった日本政府と外務省には怒りを覚える。





 

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