ベネルクス三国 8~10日目 アムステルダム②、帰国
アンネの家
アンネ・フランク一家が1942年から2年間隠れて過ごした家。 銀行家父オットーの職場事務所の3階と4階を隠れ家として潜伏したが、1942年にゲシュタポ(ドイツ秘密国家警察)に発見され、オランダの強制収容所経由でポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(ポーランド旅行編を参照)に送られた。 その後ベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移動させられ、そこで発疹チフスに罹患し、終戦直前の1945年3月ころ病没した。15歳だった。 隠れ家に残されてい彼女の日記は、唯一生き残った父オットーによって戦後出版され、60以上の言語に翻訳され、2500万部以上のベストセラーとなった。 これまで何回も映画やドラマ化されている。
入場希望者がたくさん並んでいる。
内部は撮影禁止。
隠れ家の模型(Wikipediaより)
左側が通りに面した家で、右側がその後ろに隠れた家。
隠れ家への入り口を隠した本棚(Wikipediaより)
建物内のショップ。
アンネ一家が住んでいたのはこの建物の3階の裏側。
当時はユダヤ人というだけで迫害され、虐殺された時代。戦争や偏見は人々を狂気にさせる。 だから引き起こしてはならない。
それが政治家の役割であり、一人一人の国民の責任。
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「自分でも不思議なのは、私がいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だって、どれもあまりに現実離れしすぎていて到底実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず私はそれを待ち続けています。なぜなら今でも信じているからです。たとえ嫌なことばかりだとしても人間の本性はやっぱり善なのだと。」(1944年7月15日の日記)
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風車を改造したレストランで夕食
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9日目
ヴァン・ゴッホ美術館
『ひまわり』などが展示されていたが、なぜか撮影禁止。
ダイヤモンド工房
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スキポール空港から帰国
スキポール空港のラウンジ
機内食
帰りはエコノミークラスなのでショボい。
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